黙って流れ去ろうとする日常を意外な節々でしっかり呼びとめて、
その果汁を吸いとる。美味くて栄養になる詩集。
多和田葉子
松井啓子さんの『くだもののにおいのする日』が、ジャズピアニスト・谷川賢作氏のパートナー谷川恵さんの営む出版社「ゆめある舎」から再刊される。松井さんは、上記処女詩集のほかに、『のどを猫でいっぱいにして』『順風満帆』(ともに思潮社刊)を出した後、筆を折るような形で、長く詩の世界から遠ざかっていた。谷川恵さんは、松井啓子さんの詩の魅力にとりつかれ、何とかして処女詩集を再刊したいと思ったのだが、本人に連絡するすべがない。
そのことを思潮社の編集部のFさんに相談したところ、神山さんなら住所を知っているかもしれないということで、問い合わせがあった。もちろん、私は詩を書かなくなった松井啓子さんと友人としてお付き合いしているので、知らないわけはない。そこで、Fさんの問い合わせを、本人に打診してみたところ、詩集の再刊を受けるかどうかは別に、住所などを教えることは構わないという返事だった。それから紆余曲折があって、この12月再刊の運びとなった。
久しぶりで電話で話したところ、再刊は嬉しいが、別の意味で詩の世界に引き戻されることが怖くもある、でも、彼が強力に後押ししてくれるので、何とか乗り越えることができたということだった。彼というのは、もちろん松井啓子さんの連れ合いで、私にとっては、学生時代、文学の世界に誘い込んでくれた大切な友人の松井宏文氏なのだ。私たちは、他に何人かの同人で「風狂」という同人雑誌を出していた。そこに、松井啓子さんは、詩を書いていた。「くだもののにおいのする日」は、その同人誌ではなく、「現在」というリトルマガジンに発表されたものだった。書棚の奥から出してきたので、画像を添付してみます。
松井啓子さんの『くだもののにおいのする日』が谷川恵さんのゆめある舎から復刊された。初版が1980年だから、35年ぶりになる。昨日届いて、早速通読してみた。「すばらしい」の一語に尽きる。歳月の風化などということを少しも感じさせない、むしろ歳月が経つほどに言葉に生気が通って、まるで日々生き返っているようなそんなたたずまいだ。
帯文に多和田葉子が書いている。
黙って流れ去ろうとする日常を
意外な節々でしっかり呼びとめて、
その果汁を吸いとる。
美味しくて栄養になる詩集。
いい推薦文だが、これは小説家の言葉だ。
本人の短い言葉を挙げてみよう。
あの頃、この世とそっくりで少しずれた別の世界、について私は考えていたと思うのですが、実は、今もその世界について考えています。
本の扉を開けば、きっと「この世とそっくりで少しずれた別の世界」が遠くの方に見えてくるだろう。私は、その世界を、この詩集から15年後に『クリティカル・メモリ』というメタ・フィクション批評であらわしてみた。
さっきからぶーんという微かな音が、ひっきりなしに鼓膜を震わせている。薄暗い耳の道を背をこごめてたどっていくと、遠くの方で明かりが灯るのが見えた。それから「耳のなかの昆虫のような赤い火のともる電車を追って、狭い坑道の中を走っていった。遠く遠く走り抜けて、ぽっかりとあいた夢の出口に」、光は音となって散らばっていた。
これを書いたとき、「耳のなかの昆虫のような赤い火のともる電車を追って、狭い坑道の中を走っていった。遠く遠く走り抜けて、ぽっかりとあいた夢の出口に」という「夢」(『くだもののにおいのする日』収録)の一節が、不意に思い浮かんで、いっきに言葉が出てきたのをおぼえている。
定価2400円。少しも高くない。ふと尾形亀之助の『障子のある家』を思い起こした。1930年に私家版で出たこの詩集をいまもっていれば、ずいぶんな価値になっていると思う。85年後には、『くだもののにおいのする日』も同じように貴重な詩集になっているだろう。
松井啓子さんの詩集「くだもののにおいのする日」が、2015年1月に新装復刊されました。この詩集の初版は1980年(駒込書房)で、35年ぶりにもう一度世の中に送り出されたのです。
新装復刊するにあたり、詩集のカバー・挿絵の版画をつくった沙羅さん、装丁を担当した大西隆介さん、そしてゆめある舎の谷川恵さんが、制作の裏話を語りました。
2015年1月17日
南青山“ヘイデンブックス”にて
協力:立花実咲
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