くだもののにおいのする日

発行年月日:2015/1/11
A5 88頁 薄表紙丸背上製本 / ISBN:978-4-9907084-1-2
定価 : 本体2,400円+税

黙って流れ去ろうとする日常を意外な節々でしっかり呼びとめて、
その果汁を吸いとる。美味くて栄養になる詩集。

多和田葉子

神山睦美さんの Facebookより
2014年11月21日

松井啓子さんの『くだもののにおいのする日』が、ジャズピアニスト・谷川賢作氏のパートナー谷川恵さんの営む出版社「ゆめある舎」から再刊される。松井さんは、上記処女詩集のほかに、『のどを猫でいっぱいにして』『順風満帆』(ともに思潮社刊)を出した後、筆を折るような形で、長く詩の世界から遠ざかっていた。谷川恵さんは、松井啓子さんの詩の魅力にとりつかれ、何とかして処女詩集を再刊したいと思ったのだが、本人に連絡するすべがない。

そのことを思潮社の編集部のFさんに相談したところ、神山さんなら住所を知っているかもしれないということで、問い合わせがあった。もちろん、私は詩を書かなくなった松井啓子さんと友人としてお付き合いしているので、知らないわけはない。そこで、Fさんの問い合わせを、本人に打診してみたところ、詩集の再刊を受けるかどうかは別に、住所などを教えることは構わないという返事だった。それから紆余曲折があって、この12月再刊の運びとなった。

久しぶりで電話で話したところ、再刊は嬉しいが、別の意味で詩の世界に引き戻されることが怖くもある、でも、彼が強力に後押ししてくれるので、何とか乗り越えることができたということだった。彼というのは、もちろん松井啓子さんの連れ合いで、私にとっては、学生時代、文学の世界に誘い込んでくれた大切な友人の松井宏文氏なのだ。私たちは、他に何人かの同人で「風狂」という同人雑誌を出していた。そこに、松井啓子さんは、詩を書いていた。「くだもののにおいのする日」は、その同人誌ではなく、「現在」というリトルマガジンに発表されたものだった。書棚の奥から出してきたので、画像を添付してみます。

2015年1月13日

松井啓子さんの『くだもののにおいのする日』が谷川恵さんのゆめある舎から復刊された。初版が1980年だから、35年ぶりになる。昨日届いて、早速通読してみた。「すばらしい」の一語に尽きる。歳月の風化などということを少しも感じさせない、むしろ歳月が経つほどに言葉に生気が通って、まるで日々生き返っているようなそんなたたずまいだ。

帯文に多和田葉子が書いている。

黙って流れ去ろうとする日常を
意外な節々でしっかり呼びとめて、
その果汁を吸いとる。
美味しくて栄養になる詩集。

いい推薦文だが、これは小説家の言葉だ。

本人の短い言葉を挙げてみよう。

あの頃、この世とそっくりで少しずれた別の世界、について私は考えていたと思うのですが、実は、今もその世界について考えています。

本の扉を開けば、きっと「この世とそっくりで少しずれた別の世界」が遠くの方に見えてくるだろう。私は、その世界を、この詩集から15年後に『クリティカル・メモリ』というメタ・フィクション批評であらわしてみた。

さっきからぶーんという微かな音が、ひっきりなしに鼓膜を震わせている。薄暗い耳の道を背をこごめてたどっていくと、遠くの方で明かりが灯るのが見えた。それから「耳のなかの昆虫のような赤い火のともる電車を追って、狭い坑道の中を走っていった。遠く遠く走り抜けて、ぽっかりとあいた夢の出口に」、光は音となって散らばっていた。

これを書いたとき、「耳のなかの昆虫のような赤い火のともる電車を追って、狭い坑道の中を走っていった。遠く遠く走り抜けて、ぽっかりとあいた夢の出口に」という「夢」(『くだもののにおいのする日』収録)の一節が、不意に思い浮かんで、いっきに言葉が出てきたのをおぼえている。

定価2400円。少しも高くない。ふと尾形亀之助の『障子のある家』を思い起こした。1930年に私家版で出たこの詩集をいまもっていれば、ずいぶんな価値になっていると思う。85年後には、『くだもののにおいのする日』も同じように貴重な詩集になっているだろう。

対談

松井啓子さんの詩集「くだもののにおいのする日」が、2015年1月に新装復刊されました。この詩集の初版は1980年(駒込書房)で、35年ぶりにもう一度世の中に送り出されたのです。

新装復刊するにあたり、詩集のカバー・挿絵の版画をつくった沙羅さん、装丁を担当した大西隆介さん、そしてゆめある舎の谷川恵さんが、制作の裏話を語りました。

【松井啓子さんの詩と出会って】

対談
谷川 :
私が松井啓子さんの詩を始めて読んだのは、2005年です。「うしろで何か」という一編の詩です。どうしようもなく惹かれて、この詩が収録されている詩集を読みたいと思っても、入手できない。これはもう、自分で復刊するしかないな、と考えていました。沙羅さんの作品は、上島明子さんの絵本「うさぎがきいたおと」(2010年・美篶堂ギャラリー)で知っていました。実は松井さんに復刊のご相談をする前から、挿絵は沙羅さんに頼もうと決めていました。
2014年4月に青山ブックセンターで沙羅さんの原画展があった時に、その場に大西さんにも来て頂いて、初打ち合わせをしたんですよね。
大西 :
はじめて松井啓子さんの詩集を読んだ時、正直この世界観を本に落とし込むのはかなり難しいと思いました。言い回しが難しいわけではないのですが、簡単に説明できるものでもなくて、ありふれた日常のちょっとしたズレへの気づきを描いている。打ち合わせ時に、沙羅さんの作品を改めて拝見したのですが、ある種、沙羅さんらしさを一旦捨てていただき、まっさらな状態で絵をすべて描き下ろしてもらった方がよいなと判断しました。
沙羅 :
松井さんの詩を読んで、日常の中からこんなにも衝撃的な言葉を生み出されているのは、本当にすごいと思いました。そして今回、挿絵制作のためにこの詩を読むという関わり方ができるのが、とても有り難いと思いました。自主制作としての版画と、詩を読んでつくる版画は全く別ものなので、自分だけではできない表現を発見できるんです。

【詩から生み出された版画作品】

対談
谷川 :
厳しいディレクションをなさった大西さん(笑)ですが、沙羅さんに「松井さんの目に映っているものをイメージしてほしい」とおっしゃっていましたね。
大西 :
そうですね。1980年当時に松井さんが見ていた景色は、デジャブのように僕たちもどこかで見ている奇妙な感覚があったので。それを沙羅さんのフィルターとどうつなぎ合わせられるかを考えていました。絵のモチーフも何気ない日常のワンシーンのようだけど、詩とあいまったときにちょっとした違和感を残すというか。
谷川 :
初版と同じ部分もありますよね。文字の大きさとか。
大西 :
書体の大きさや組版は、オリジナルの詩集を尊重しています。あと実は平仮名や片仮名の文字を部分的に変えています。例えば「の」とか「て」とか。今のフォントでは完全に一致しないのと、活字特有のゆらぎを再現するために。
谷川 :
モチーフが決まってからは、沙羅さんはもうひたすら描いて刷ってで……大変だったでしょう。
沙羅 :
何かを生み出すというのは大変なことですが、一枚一枚、できあがったときの気持ちは何にも代え難いですね。この詩集からたくさんの作品を生み出すことができて、うれしかったです。
谷川 :
大西さんは一枚ずつ仕上がってくるのを見ていてどうでしたか。
大西 :
版画の場合、ラフと完成品では全然違うので、楽しみに待ちながらも内心ドキドキしていましたよ。全体を見渡しつつも、最後までぶれないように進行しなければいけないので。
対談
谷川 :
挿絵の版画は、松井さんの詩を沙羅さんが受け止めてつくる、という流れでしたが、別丁扉だけは沙羅さんの作品として好きに作ってほしい、と大西さんがおっしゃったんですよね。この原版が、ほんとうに素晴らしいんですよ!
沙羅 :
挿絵は入る場所の個々の詩からイメージを得て、その詩をより引き立たせるために作りますが、この別丁扉は詩集全体から得たイメージで、絵だけで存在できるものを作る必要がありました。この別丁扉の制作で、自分の中で詩集と同調できたような気がしました。とても貴重な体験をさせていただいたと思います。
谷川 :
わたしは沙羅さんの版画が仕上がってくるたび、わーってとても興奮しましたね! ディレクションは大西さんにお任せで(笑)。8枚の挿絵、目次ページの挿絵、別丁扉で、約半年かかりましたが、待つ幸せを感じました。

【最高のカバーにこだわって】

谷川 :
制作過程でおもしろいなと思ったのは、大西さんが中身を固めてからカバーを決めたいとおっしゃったことです。だから最後までカバーのデザインが出てこなかったんですよね。
大西 :
内面は顔にでますから。それに先に外側のフレームを決めてしまうとその範囲内で作ろうとしてしまう危険性がある。本は内側が決まれば、おのずと外側も見えてくると思っています。
谷川 :
カバーは、くだもので袖部分まで埋め尽くす、というイメージは最初からあったんですが、試行錯誤しましたね。いくつか別案があって、ザクロがどーんと一個だけ刷られたものもあったんです。そのインパクトが圧倒的だったから、このザクロで決まりかなーって思ったんですが、大西さんが「少し考えたい」っておっしゃって。
大西 :
ザクロ一個に託すのは象徴的すぎるし、イメージが限定されてしまうと思い直しました。静かなんだけど芯が強いというか、もっと想像する余地に広がりをもたせたかった。
谷川 :
そうですね。最終的には、今のくだものの絵になったんですが、これは個々のくだものが、別々に刷ってあるんですよ。沙羅さんに、かなりの点数の作品を作っていただきました。
対談
沙羅 :
はい、私は個々にくだものの絵を作って、レイアウトは大西さんがしてくださいました。
大西 :
最初は白地だったんですけど、最終的にはマットな黒と鮮やかなくだものとを同居させました。
谷川 :
黒にした時は、衝撃でした。
沙羅 :
わたしも、自分の作品の背景が黒というのは初めてのことです。
大西 :
真っ暗で何も見えなかったのに、何かの拍子にキラッと輝いてその存在が明らかになる、みたいなことをイメージしました。まさしくこの詩集で描かれている世界ですが。
谷川 :
カバーは、紙質から何からとてもこだわりましたよね。印刷所の板倉さんに申し訳ないくらい。
大西 :
絵柄は基本の4色に配合を変えた蛍光インキを混ぜて印刷しています。鮮やかだけどしっとりとした両極端な質感の仕上がりを目指していたので印刷や用紙選びは苦心しました。
谷川 :
カバーの色校正を4回もやって、途中で紙を変えたりもして、全体の進行が大幅に遅れました。版元としては冷や汗をかいていました。その雰囲気、伝わってました?
大西 :
伝わってました(笑)。
谷川 :
中身をこだわったから、それを包み込むカバーは最高のものを、と、大西さんが納得できるまで待っていました。そのかわり、場外ホームランをお願いしますよ、と。
大西 :
そういうメール来てましたね(笑)。
沙羅 :
色校正の過程を拝見していて、大西さんのこだわりが伝わってきました。

【みなさまにお届けしたい詩集】

谷川 :
ようやく完成した本が届いた日、松井さんに早くお見せしたくて、自転車をとばして高円寺まで行きました。「できましたー!」って言って。松井さんは「きれいにつくってくれてありがとう」と嬉しそうでした。そして「今日は私の誕生日なんです」と。あまりの偶然に、私、ぼーっとしてしまってね。
これから、この詩集を多くの読者に届ける上で、おふたりから一言いただけますか。
沙羅 :
この詩集ができた80年代は、わたしは子どもだったのですが、その頃の記憶をモチーフに版画をつくりました。こどもの頃の、眩しいような、怖いような、すごく楽しいような、寂しいような…ぼんやりとした記憶って誰にでもあると思ってるんですが、言葉にできないあの感じがモチーフになっているんです。だからどんな方に読んでいただいても、なにかしら共感していただける瞬間があると思います。
大西 :
多忙な日々を送っている人でしょうか。せわしない日常がフッと途切れた瞬間の気づきや考えは大切ですから。この詩集の風景とシンクロするものが、きっとあると思います。
谷川 :
わたしが好きで好きでたまらない詩集ですから、私と同じように感じる人のもとに、しっかり届けたいです。全力で頑張ります!

2015年1月17日

南青山“ヘイデンブックス”にて

協力:立花実咲

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